歴史人口学から中国と日本の歴史を見てみる

2021-03-25 06:35:44

歴史の本を読んでたら、
ふと、西暦が始まったぐらいの人口ってどれくらいだったんだろうという疑問が生じた。

歴史でよく話題にされるのは紀元後なので忘れがちだが、
人類は紀元前1万8000年前ぐらいから徐々に農耕を始めていたので、
そこそこいただろうと思って調べてみると、

世界人口の推移と推計:紀元前~2050年

これによると、2億〜4億ぐらいらしい。
おお、今の日本より多いじゃないか。
結構いたなー。
2000〜4000万ぐらいかと思っていたけど、流石に人類の歴史を侮りすぎか。

2021年現在が約76億人だから、
西暦元年からだいたい19倍〜38倍になったことになる。

しかし、年平均人口増加率つまり人口の伸び率が増加してきたのは、
1750年ぐらいと比較的最近で、ちょうど産業革命が始まるぐらい。
それでもまだ0.4%ぐらいで、
1%を超えるのは1950年ぐらいになってから。
ここから急激に加速する。

人口爆発 - Wikipedia

Wikipediaをみると、
1944年に緑の革命ってのがあったので、食料の大量生産が可能になったのが背景にあるらしい。
もちろん第二次世界大戦が終わって、人手が戦争にとられなくなったのも一因だろうけど。
ちょうど日本の第一次ベビーブームもこの頃。

そして年1%以上の増加(ときには年2%の増加)を続けていき、70年後の現在には3倍程度になっているというわけだ。

ところで、
上記の人口爆発のWikipediaだが、
歴史の欄に中国と日本が書いてある。
それぞれみていこうと思う。

中国の歴史は三国志や水滸伝など、非常に面白いが、
たしかにいつも腐敗した政治とそれに反乱する世直しが起こるというワンパターンなので、なんでかなーって思ってた。
漫画では分かりやすさを優先するからそれでなのかと思ったが、それだけではいかにも説明しにくい。

調べてみると、ここにまさに知りたいことがまとまっている。
ちなみに、この内容は「貝と羊の中国人」という本で出版もされている。

中国の人口の歴史 加藤徹

後半部の「中国の人口増減の基本的サイクル」をみるとわかりやすいが、
建国された初期は人口や生活レベルも適正だが、
徐々に人口が伸びていくと一人当たりの生活レベルが下がるため、
世の中全体が飢餓に苦しみ、世直しが叫ばれるということなのだろう。
腐敗した政治、特権階級だけが裕福ということは世直しの原因として間違ってはいないのだろうが、
おそらくこれは王朝の衰退期だけではなく、建国からずっとあったのではないかと思われ、
飢餓により世の中全体が苦しんでいるために、
相対的に裕福な特権階級が、民を貪る非道として糾弾され、
その革命の結果、王朝の交代ということなのではないかと思われる。
つまり、中国史にみられる建国の英雄たちは、
たまたまその時期に生まれ、
人口増加による飢餓の改善と腐敗政治の改革を叫ぶことで、求心力を得て、
王朝を倒し、新たな王朝を建てることができたということなのだろう。
王朝の交代期に英傑が多いのは何も不思議なことではなく、必然ということなのだろう。
勿論、必然だからと言って、彼らがスゴいことに変わりはないが。

中国の歴史の大部分で、養うことのできる人口は6000万人だったという数字もあるようなので、
ここに達するのがだいたい300年前後=王朝の寿命ということなのだろう。

人口の増減が歴史の流れを説明しているというのは非常に面白く、
かつ、中国の王朝交代を説明していてすんなりと理解できた。

ところで、日本はどうだったのかと考えると、
数百年続いた王朝というと、すぐに江戸時代が浮かぶ。

しかし、人口爆発のWikipediaでも書いてあるが、
江戸時代は人口がそこまで増加していかず、
緩慢な上昇をしていたらしい。
Wikipediaではこの理由を間引き(子殺し)だとしているが、
さすがに人口増加を抑えるほど間引きしていたとは考えづらい。
1600年の人口を1200万人、人口増加率を0.4%と少なく見積もっても、
幕末には3500万人を超えるし、人口増加率が0.5%だと4000万人を超えてくる。
江戸時代前半にはもっと人口増加が多かったともいうし、
その増加分を間引きなんて、流石にありえないと思われる。

そこで、特に人口増加が停滞した江戸後期になにがあったのかを調べると、

江戸時代の人口調整方法 | 永井俊哉ドットコム

この記事が一番まとまっていた、
これによると、
江戸後期、農村地帯の家では、長男への財産分与が一般的であった。
そのため、次男以降は居場所がないので、奉公に出されるが、
それが基本的には江戸や大阪などの都市だった。
そうして都市の人口が増えてくると、
疫病が多く発生したり、飢饉の際は低所得層から亡くなっていくなど、
結果として都市の人口抑制機能が働くことになったというわけである。
人が多く死ねば、その分また人が必要になるが、
出生率が低かった都市では余剰人員がおらず、
農村地帯からの奉公が必要になってくる。
また、女性が奉公にいくと晩婚化が進み、
それにより第一子を産むタイミングが遅くなるので、
結果として生涯出生数が減り、出生率に歯止めをかけていたのであろう。
以上のことが続いた結果、江戸後期は人口増加が抑制されていたということなのだろう。

ここらへんを深堀してあるのは下記

“都市=蟻地獄”だった…江戸時代からみる 日本の人口減退期に起こること(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

また、都市については下記も面白い。
現代の出前などに見られる商売形態が江戸時代は結構発展していた模様。

独身男子の多いソロ社会だった江戸時代ニッポン | WANI BOOKS NewsCrunch(ニュースクランチ)
「人口減少」時代への対処は江戸に学ぶといい | ソロモンの時代―結婚しない人々の実像― | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

勿論、ここで書いたことが正しいとは限らないし、
恣意的な情報収集していないとも限らないので、
興味をもった人は自身で調べるとよいと思う。
もっと色々調べると、間引きが実際にはもっと日常的にあったということになるかもしれないし。

ちなみに、今回調べていて、
間引きについて、そんなことをやっていたなんて日本人は野蛮だったとかの意見が見られたけど、
僕はそれは違うんじゃないかなと思った。
勿論、現代に生きる者として、現代での子殺しを認める気は毛頭ないが、
ことこれが自身が生きてない時代のことになると、
そもそも価値観や常識の違いがあるわけで、
それが理解できないまま現代の価値観を当てはめて良い悪いを論じるのは、
歴史を歪曲してしまうと思う。
あくまで、あったことをあったままで受け入れるのが歴史に対する態度であるべきかと思う。