Re:前後
2013-05-18 02:54:34
記事にもコメントしているが、改めて考えてみた。
元記事の質問はこれ
「どうして時間の『まえ』は『うしろ』なの?」
質問の意図は元記事を読んでもらうとして、質問したのは子供だから、子供に分かり易いような説明を考えてみる。
なお、別に根拠がある意見じゃないので、あしからず。
まず、この質問を見たときに思ったのが、
時間のほうがただしいんじゃないの?って疑問。
つまり、「前」は過ぎ去ったものをさす方がなんとなく合ってる気がするってこと。
だけど、確かに空間的には「前」は自分が向いている方向なんだよなーと思いつつ、
ふと、「向いてる」のは誰だろう?って考えに至った。
「前に進む」というとき、その主体は自分だったり、他の人だったりする。
主体は人間ということだ。
その場合、その人にとっての「前」であって、他の人にとっての「前」ではないかもしれない。
主体は人間であり、かつ、主観的なものである気がする。
次に、時間的な「前」の主体は誰だろうと思う。
観測しているのは人間だから、主体が人間でもいいような気がするが、
なんとなく、違和感がある。
「僕の三歩前」とは言うけど、「僕の三分前」とは言わないよね。
言うとしたら、「三分前の僕」かな?
なんか言葉遊びのような気もするけど。
で、時間は主観的なものではない、主体は人間ではないって考えると、
では、時間の主体は人間ではなく、世界?って思った。
「世界」ってのはここでは空間的な広がりだけじゃないよ。
世界が時間の主体であるならば、
世界が時間的に進む方向が「前」にあたる。
世界が時間を流れていくときに、人間は未来の方向を向いているようにイメージできる。
図にするとこんな感じ。
なんで未来から過去に流れるの?馬鹿なの?っていう突っ込みはおいておけ。
これじゃ当然子供に説明できないので、例えてみると、
川と、上流側を見て立っている人間って感じだろうか。
人間にとって、上流からやってくる水の流れが時の流れに相当し、
さっきまで僕が「世界」とよんでいたものが川になるのかな。
川は上流から下流に流れるので、川が進んでいる方向が「前」
つまり人間の背中の方向を「前」と呼ぶ訳だ。
だから、時間的な「前」というのは、やはり人間から見た「過去」に相当するのではないか?
と、こんな風に考えたんだけど、どうだろ。
子供に説明できる自信はないけどね。
こんなこと考えて過ごせた楽しい一日であった。
しかし、最初に時を川に例えた人はすごいなー。
そして、こういうことを疑問に思う子供はもっとすごいなーって思った。
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